おもいをこめる、おこめさんです。
最近、いろんなことがあって、直近でいうと8/20に全国で一斉に行われる「不登校は不幸じゃない」プロジェクトに手をあげて、ひらかたの地でもイベントを開催することになりました。
手をあげたはいいものの、何からすればいいのか
ふと気づいたのが、リアルのイベントを自分が主体で一からつくっていくのは初めてでした。
それでもいてもたってもいられなかったんです。
毎年、夏休み明けには
宿題が終わらない
学校の生活に戻るのがいや
友達と顔をあわせるのがいや
受験のプレッシャー
様々な要因から学校にいけなくなり、自ら命を絶ってしまう人がいるという事実。
本当はもっと人生は自由なはずだし、
本当はもっと人生は生きたくなるような時間だとおもうのです。
(それでも生きづらいと感じる瞬間もたくさんありますよね。)
そんなことを当事者の親御さんやお子さんに届けたくってイベント開催を決めました。
これらの想いの原点には、自分が元ひきこもりだったということが関係しています。
毎日自分を責める
「自分なんて価値がない」
「どうやったら◯ねるか」
「この世界から消えてしまいたい」
そんなことをずっと考えていました。
完全にダークサイドにおちていましたね。
この時期、何もかも嫌になって 何にも手をつけれませんでした。
ぼくはこのとき、一旦何もできないただの人でした。(むしろ見方によったら食べるだけ、マイナスな存在とも?)
何かができることが評価される世の中では
何もできない人は評価されません。価値がないと判断されます。
企業に就職して、一生懸命はたらくことが美徳とされる世界では
はたらけない人は自然と自分を責めて、おいつめていきます。
それの延長が子どもたちにしわ寄せがいっているのだと思います。
勉強ができる人はすごい人
努力ができる人はすごい人(努力できるかどうかも遺伝によって決まるという研究もあるようです)
〇〇できる からすごい は
〇〇できない人は すごくない に
なります
〇〇できない側からしたら、すごく生きにくい世界です。
窮屈な世界。
だからといって、みんなができなくなろう
という話ではなくって
できない人もできる人も一緒にいていいよねって価値観がほしいのです
そこに分断する意味は本来はないはずで、、
こういう視点を大事にできるのは、自分が元ひきこもりで、
何もできない人であったから だなと思います(今もそうかわっていない)
悔しさなのか
寂しさなのか
そういった感情が自分を突き動かしてくれるのは間違いなさそうです
8/20ほとんど白紙の状態の中、思いだけでスタートしたプロジェクト
心ある仲間が8人も手をあげてくださり、一緒につくっていきます。
また続報はこちらでも書かせてください。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
みなさんにとって、素敵な一日になりますように
おこめさんでした。