この社会で生きていくには確かに 何かができる 能力は必要なのかもしれません。
だけど、努力できるかどうかも遺伝の影響を強く受けるという中では、「できる」かどうかも本人ではどうしようもないこと捉えられます。
「できる」ように育てる、という視点もその重要性も理解しつつ、それ以前のその人それぞれの存在自体を丸っとすっぽり認めて、受け止められる優しい社会
そんな未来の社会を描いています
不登校という中にはそんな社会の矛盾や歪みが反映されています
・成績にさらされる
・〜べき、普通〇〇に対する違和感
・クラスや学校など選択できない環境
もちろん、社会の厳しさに慣れるため という意味もあるのかもしれませんが、違和感を抱えたまま、自分の人生や社会に折り合いをつけるのは、もっともっといろんな経験をしてからでも遅くはないはず。
実現させたい社会に向けて、
微力でも
少しずつでも
動いていきます。